2005年10月31日

履歴〜出張用口座〜

*この「履歴」シリーズは過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいかと思います*


ダンナが2001年秋に転職してから数ヶ月、年末年始に向けて仕事が忙しく、出張が多くなってきた。
会社では1泊2泊くらいの出張だと、出張費の前払いをしてくれないようで、先に各々が負担して、出張後に精算してお金が戻ってくる、という方法をとっている。
最初は、出張のたびに1泊1万円計算で渡して、食事代等を引いて8,000円を返金というやり方をしていたが、出張が急に決まる時などは、わざわざ私の働く会社まで出張費を取りに来てもらったこともあった。

そういう不安を解消しようと、ダンナ名義で出張用の銀行口座を開設。
そこに5万円を入金して、そのキャッシュカードはダンナが管理し、そこから出張の際は自分で出金し、精算されたらそこに入金するようにしようと提案した。

それから約2ヶ月・・・。

ダンナの仕事の忙しさもだいぶ落ち着いてきたある日、私はダンナの口座から生活費を2万ほど下ろそうと思って銀行に向かい、カード入れを見ると、ダンナのキャッシュカードが見当たらない。
私のカードや、クレジットカードはあるのに、ダンナの、給料が振り込まれる口座のカードだけがない。
え?なんで?もしかしてどこかに置き忘れた?なくした?盗まれた??
焦ってカバンの中を探ったが見当たらない。
ダンナの携帯に電話を入れた。
「キャッシュカードが見当たらないんだけど・・・」
するとシラッとした感じで「俺が持ってるよ」と言う。
あぁ、あったんだ・・・良かった・・・・・・

って、え?? なんであなたが持ってるの?

でもその時はダンナは仕事中ということで長くは聞けなかった。
不安になった私は、オンラインで口座の入出金や振込、残高照会ができるサービスを使って、振込ついでに出張用の口座の残高を照会した。
残高、2,000円ちょっと。

やられた・・・


その夜、帰ってきたダンナに詰め寄った。
ダンナに詰め寄るのは、結婚直後以来、2年ぶりくらいだろうか・・・
ダンナは、出張用の口座のお金を使ってしまった理由に、初めて「パチンコ」と言った。
遊技業界で働くのに、パチンコの経験がないダンナ。
台の動きやシステムについて、同僚に聞いてばかりではだめだ、と上司に言われたらしい。
そこで、向学のためにパチンコに費やした、という。
ありえる理由だった。
私が上司だったら、何でも人に聞いてばかりの新入社員に、多分同じことを言うだろう。
でも、もう大体分かったから、もうしなくても大丈夫だから、とダンナは言う。
ギャンブル癖の怖さを知らない私は、それを真に受けてしまって、「うそでしょ?またやるくせに」とは言えなかった。

その代わり覚書を書いて欲しいと言った。
「使い込みをしてしまい、大変申し訳ありませんでした。今後使い込みをしたら、どのような処遇も受け入れます。○年○月○日 ××(ダンナの名前)」
さらにご丁寧に拇印まで。まるで犯罪者扱い・・・。
それに、使い込みのことだけが書かれてて、ギャンブルをしないで欲しいとは書いてない。


とにかくその頃の私は、ダンナが真人間の道から外れかかってるのを修復しようと必死だった。
でもこんなやり方じゃ、ダンナにストレスを与えるばかりで、余計にその道へ走ってしまうだけだとだいぶ後に分かったが、かといって他に手がないように思えた。

それからは2ヶ月に1度の割合で、キャッシュカードがなくなったり、お財布を落としたり(正確には現金のみ盗まれた?)、ゲーム機を売られたり、私が独身時代から急場のためにと貯めていた100円玉貯金がすっからかんになったり、ということが起こった。
その都度ケンカしたり話し合ったり、寛容になだめたりしてみたが同じだった。

疲れた・・・私じゃもう何を言ってもだめだ・・・
もう一度、ダンナの両親に出てきてもらおう。

あるケンカの際、ダンナに「もう許せない。あなたの両親に自分の口から話して反省してください」と言った。
私は行かないつもりだった。
また私の口から事の顛末を話すのは、もう疲れすぎてムリだったし、ダンナが怒られる場に私がいたら、私まで怒られてる気分になる。
そんな思いをしたくない。
私は悪くないのだから。
ただ、ダンナの話だけでは上手く伝わらなかったり、はぐらかされたりするかもしれない。
そう思って、私はダンナの両親に手紙を書いた。
今までの顛末と、今度同じことをしたら離婚させてください、と。


ダンナは了承し、その週末、一人で実家へ赴いた。
私のプレッシャーを受けるだけ受けたダンナは、どんな気持ちで実家で話したのだろう。



続きはまた時間のあるときに・・・

posted by はなこ at 19:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月30日

訪問者数

seesaaブログを使い初めて数ヶ月。
seesaaブログには、アクセス解析機能が最初から設定されています。
昨日、初めてこのブログのアクセス解析を見てみました。

なんと平日休日に関わらず、平均して150人くらいの方が訪問してくださってるんですね。
ページビューと訪問者数が分かれて表示されてるので、勘違いはしてないと思うのですが、借金ブログランキング以外のランキングには参加をしていませんし、そんなに多くの方の目に触れているとはまったく思ってなかったので、正直、驚いています。
表ブログの倍以上のアクセス数なんですから。

「シングルママの本音」ブログのまいさん
冒頭で毎回「来てくれてありがとうございます」って書いているけれど、本当にそういう気持ちになりました。
ありがとうございます。これからも応援よろしくお願いいたします。
借金のことは人に簡単に話すことのできない話題ですから、こうして顔の見えない状態でコメントのやりとりができるというのは、精神安定上、とても大切なものだと私は思っています。

そして、どんなキーワードでこのブログを訪問してくれたのかを見ると、
借金、返済、夫、完済、ギャンブル、離婚・・・

明るいキーワードなど一つもない(笑)

あ、完済は明るいキーワードか。

でも私もダンナの借金発覚当時はそうでした。
とにかく、現在進行形で同じ状況の人が一人いてくれたらいいのです。
自分だけじゃないと思いたい。
そしてその人がどんなことを考え、どう対処し、どう乗り越えているのか知りたいんです。
今の状況から少しずつでもいい方向に脱出したいから。

ギャンブル、夫、借金・・・なんてキーワードで検索されてると、辛い過去をお持ちの方の日記を見つけることがあります。
でもみんなそこから這い上がろうとして日記をつけてるんだろうと思います。
私も半分はそうです。(もう半分はダンナのグチを言いたいから?)
そして、そのようなキーワードで訪問してくださった方々も這い上がろうとしているのでしょうから、暗いキーワードでの検索もおおいに大歓迎です。
私も早くこのブログで明るい日記が書けるようになりたいものです。

ただ、このブログには私から発信する有益な情報というものが何もない気がします。
それだけが訪問してくださる方への気がかりですが・・・これからもないかもしれません(笑)
が、現在進行形で、もがきながら頑張っています。
その姿が悩める誰かの心に安堵や良い方向への変化をもたらせたら、管理者として嬉しいです。

(その前にマメな更新しないとね)
posted by はなこ at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 借金返済日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

七五三のお祝い

今月は、自分の実家に帰省する予定があります。
お正月に帰らない代わりです。
そして、甥っ子と姪っ子が揃って5歳と3歳になるので、七五三のお祝いをその時にするというのです。

とりあえず帰省するのは私だけですが、またお金がかかりますね・・・

交通費、七五三のお祝い、ご近所と実家へのお土産。
総額4万というところでしょうか。


ご近所へのお土産は、600円〜1,000円くらいのものを5軒分は買っていきます。
遠くに嫁ぐ時に、母から言われました。
ご近所の仲の良いお宅から、旅行やら娘さんの帰省やらでいつもお土産をいただいてるので。帰省するときに必ずお土産を持ってきてほしいって。

母はご近所付き合いの良いタイプで、深いお付き合いをしてる友達も何人かいます。
が、出不精&痔持ちなので旅行に良く行くタイプではありません。
(こんなところで痔持ちを暴露される母って・・・。ごめんね)
だから、私からのお土産はお付き合いに必要なのでしょうね。


七五三のお祝いをあげるのは、実は初めてです。
どのくらいが相場なのかが良くわかりません。
ダンナに相談したら、3000円ずつでいいんじゃない?と言われました。
何だか3000円じゃ、少ない気がするんですが・・・
5,000円ずつくらいにしない?と言ったら、少し憮然として
「だって、姉ちゃんの姪っ子たちには、七五三のお祝いなんてやってないんだぞ」
と言われました。

確かに・・・。
上の子は私たちの結婚前に7歳になってたけど、下の子は今5歳。
3歳の時にお祝いあげてない・・・(それどころじゃなかったのか?)
でも今回実家に行ったらお祝いの席であげないわけに行かないし。

「自分の親戚だけにお祝いやるなよ」って言いたいのかな。
そんなつもりじゃないんだけどなあ。
posted by はなこ at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 借金返済日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月27日

9/25〜10/24の収支

10/24までの収支を計算してみました。
今回は表を横に伸ばしたので、画像で貼り付けらるし、Excelの表をそのまま活かせたので楽でした。
楽だと日記に載せるのも億劫になりませんね。

9/25〜の収支

今月は週末が5回あったために、食費が高くなりました。
週末に1週間分の食品を買い物するようにしています。
それでも先月や先々月より食費が高めになってきて、ダメですね。
締めていかないと、と思っても、少しずつだらけてしまってる証拠です。

変動費がちょっと多くなりました。
夫の会社の携帯を機種変したのですが、ダンナの会社では一定以上の価格の場合、
個人負担しなくてはいけないそうです。ちょっと痛い出費です。
あと2人ともとても楽しみにしていたDVD2枚組みを買ってしまったんですよね。
保険を見直して解約した分の返戻金があったから9,000円弱の赤字で済んだようなものです。

でもそんなことより、右を見てください・・・
結局先日の日記にも書いたように、ダンナがA社のカードを使ってしまったので
残高が増えてしまいました。
私までやけくそになって、家計簿なんてもうどうでもいいや〜となりかけてたんですが、
ここで頑張らないといけませんよね・・・皆さん頑張ってるんですもんね。

今月は普通に節約してれば黒字になったのに、
この赤字は、いろいろあったために半ば疲れ&だらけ気味で生活してたための赤字ですね。
ダメダメだ〜〜。・・・反省。
posted by はなこ at 22:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 収支報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月24日

履歴〜転職〜

いや〜・・・中間決算処理や行事で仕事が忙しいわ、ダンナはしっかり帰ってくるわで、
パソコンをする時間がなかなか取れませんでした。
訪問してくださった方々にお礼を申し上げます。



*この『履歴』は過去の記録です。カテゴリーの『履歴』より読まれると読みやすいです*


1999年の夏に入籍してから数ヵ月後、結婚式を行って、その後私もこの東北の地で働き始めた。
ダンナは、「働きたくなければ働かなくてもいいよ」と言っていたが、
もともと専業主婦なんて柄じゃない私、結婚式までの数ヶ月間、知り合いも少なく家にばかりいる状況にノイローゼ気味にすらなっていた。
新しい仕事は建設会社の一般事務。パート。
知り合いも出来てきて夫婦間も特別な問題もなく、楽しい日々だった。

その年の冬、ダンナのオンボロ車が故障続きだったこともあって、車を購入。
私の貯蓄から半分以上をキャッシュで払って、残りはローン。
結婚式費用も自分側の負担分は自分で捻出していたので、車を購入したことで、
私の貯蓄はほとんどなくなってしまった。
それでも仕事をはじめていたし、また貯蓄をすればいいやと簡単に考えていた。

ダンナはと言えば、当時の仕事がセールスエンジニアだったのだが、セールスなんてできるタイプではないので、売上ノルマがある仕事がとても辛く感じていたようだった。
結婚から2年後、もう我慢できない、転職したいと持ちかけられた。
男性は女性と違って定年まで仕事をしなければならないことがほとんど。
できれば自分の好きだと思える仕事について欲しいと思っていたし、ダンナの年齢や子供がいない状況、そして3ヶ月程度なんとかやっていけるだけの蓄えはあったので、転職を了承した。

ダンナの両親にはもちろん退職前に話したが、その時にもやはり「はなこさんのご両親には言わないで」と言われた。
何なんだろう。この点については、未だに納得がいかない。
私の両親にとっては、娘の夫が必要のない大きな借金を抱えてたり、転職をしようとしていることを知るのは、見守っていく上で大切な情報だと思うけれど。


2001年の夏、ダンナは退職した。
そして就職活動は思っていたよりも厳しいものだった。
1ヶ月が過ぎ、2ヶ月があっという間に過ぎていった。
私のパートの収入が10万弱。当然夫婦2人が借家で生活するには貯蓄を崩さなければならず、失業保険をもらい始める4ヶ月目までが貯蓄を崩せる限界だと思っていた。


ダンナは退職後、毎週発行される求人情報誌は欠かさず購入してチェックし、めぼしい会社に連絡していたが、ダンナが希望する分野の技術職だけを募集する会社は、なかなかなかった。
ある週の求人雑誌を私がめくっていると、「技術職」のカテゴリーではなくて、いつもは飛ばす後ろの方の「複数職募集」という欄にあった、ある会社の求人広告が目に付いた。
営業職と技術職を募集している会社は、遊技関係の会社。
広告だけでは仕事内容が良く分からないけれど、とりあえずダンナに見せて、応募してみたら、と話した。
その時まで、まったくパチンコや競馬などのギャンブルに手を染めてなかったダンナだったので、もしやこの会社に転職しても、ギャンブルに溺れることなどないだろうと思っていた。

ダンナはなぜかあまり乗り気ではなかったが、その会社に応募。
こうなることを自分で予感して乗り気でなかったのかもしれない。
面接が終わった当日に、すぐに採用の連絡が来た。
ダンナは就職活動の終わりを素直に喜んでいたし、私も嬉しかった。
今度の仕事は純粋な技術職。夜間の仕事も多いようだけれど、前の会社のストレスの比ではないだろうと胸をなでおろしていた。
最後の仕事にしてね、とダンナに話した。



最後の仕事にしてね、なんて言わなければよかった。
「おかしな会社だったら、早めに見切りつけて次のところ見つけてもいいよ」とか、
「続けて行けそうなの?」と聞けてたら、ダンナは我慢せずに違う道を選んでいたかもしれない。
今でもダンナに「あの時、あなたが今の会社の広告を見つけなければ、こんな自分にならなかった」と良くなじられる。
最終的に入社を決めたのはダンナの意思だが、ダンナも焦っていたし、私も家計を心配していたから、納得いかない部分もありつつ入社したのかもしれない。


続きはまた・・・
posted by はなこ at 21:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

履歴〜結婚直後まで〜

*この『履歴シリーズ』は過去の記録です。カテゴリーの『履歴』からお読みになると読みやすいです*


ダンナの両親へは、行くまで何も話してなかった。

着いた後しばらくはお茶を飲みながら世間話をしていた。
なかなかダンナが切り出さないまま30分近く経ってきて、私はダンナの足に合図を送った。
小声で「いつ話すつもりなの」とも言った。
ダンナのおどおどした様子にようやく気づいた両親が、何かあったの、と聞いてきたので
ようやくダンナが切り出し始めた。

 ダンナ「実は・・・借金があるんだ・・・ほうぼうに・・・」

 義母 「ほうぼうってどのくらいなの!え?○○!(ダンナのこと)」

 ダンナ「・・・ほうぼうに・・・」

 義母 「だからほうぼうってどのくらいなの!」

義理の母の声が金切り声になってきた。
そりゃ驚くだろうけど、自分の息子の性格を考えたら想定内だったんじゃないの?
だって当時ダンナの通帳を見たら、一緒に暮らす少し前まで数ヶ月に1度ずつ義父の名前で10万、20万の振込みがあったのだから・・・


10社で350万近い借金があることをダンナが告げると、両親はダンナを叱り続けた。
しばらくしたところで、ダンナはトイレに立った。
その時、今度は私に向かって両親が謝ってきた。
本当に申し訳ないことをしてしまったって。
結婚はどうするの?と聞かれたので、このことがはっきり決着がつくまでは籍を入れませんと告げた。
ただ、付き合っていた時に、私の方の家族内でのトラブル時にダンナにとても協力してもらったこともあったし、私が弱いときに支えようと頑張ってくれたり、間違ったときに叱ってくれたこともたくさんあったので、今度は私が支える番なのかな、と思うと話した。
そのことは両親2人とも納得していたし、ありがたいとも言ってくれた。
けれど、「はなこさんのご両親は、このことを知っているの?」と聞かれて「まだ話していません」と言うと、何だかちょっと安心した様子だった。

そして、トイレから戻ったダンナを前にまたお説教。
ダンナは「もうしない。真面目に生きる。すみません」と何度も言っていた。
そんなダンナを見て、いい気味だとも、かわいそうにとも思わなかった。
エンディングが近くなっていろんなことが解決していくドラマを見ているような、
「よしよし、後は大丈夫だよね」という客観的な気分だった。


ダンナからすれば、叱られている姿を私が見るなんて、屈辱的だっただろう。
私には、男のプライドというものが今いち分からなかったんだと思う。
人間として間違ったことをしたのだから、謝って反省して元に戻ればいいのだから、という気持ちしかなかった。
むしろ夫婦間の立場で言えば「私があなたを更生に導いた。感謝してほしい」と上から見下ろす気分ですらあったように思う。
男からしたら窮屈な女。
でも私にはそれが分からなかったし、分かろうともしてなかった。


話し合いの最後に、両親がこう言った。
結婚していずれはこの家に来るはなこさんのために、台所をリフォームしようと思っていたのだけれど、その費用を返済に回す。
一括返済は7月下旬。実家近くのATMや銀行から直に各業者の口座に返済する。
○○もはなこさんもその当日現在の返済額を調べて、一緒に来るように。
そしてこの借金のことは、兄弟親戚誰一人にも漏らさないつもりだ、と。

つまり、私にも私の両親に言わないで欲しいということなのだ。
これが、代々続く大きな家の見栄。間違った見栄。
結婚してないのに、私はすでに嫁扱いだった。
それでもダンナはもちろん私も、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

それから約1週間後の月曜日、ダンナは仕事の休みを取って、もう一度2人で実家に出向いた。
義父は銀行から一括返済に足る額を下ろしてきていて、義父の車に4人が同乗し、隣町の銀行へ向かった。
知り合いに会いたくないから、ということだった。
調べて置いた各社の返済先口座を振込用紙に記入するのは私が担当した。
今となっては不確かだけれど、消費者金融の店頭へは出向かず、銀行から返済口座に直に入金したように思う。

返済をし終わってから、実家でまた説教をされた。
今日返済した際の振込み控えは、今後同じことを繰り返さないように持っておきなさいと言われた。
確かにそれは数年間は取っておいたけれど、私が時々見るばかりで、ダンナは一向に見る気配はなかった。

今思えば(またこの言葉を言ってしまうが)、結局、両親が返済してしまうというのは何の解決にもなってなかったんだと思う。
私たちもこうして借金や消費者金融に対する勉強をしないままだったし、両親も同じ。
消費者金融は怖いという意識だけでは、いけなかったんだと思う。
事実、完済後に各社解約まではしてなかった(そういう手続きの必要を知らず)。
携帯に「借りてください」と連絡が入ることも知らなかった。


だけど、晴れてきれいな身になれたダンナと、私はその後入籍したのだった。
入籍はTVで見るような「2人で」というものではなく、単に私が専業主婦で時間があったので私が一人で提出しにいった。
お一人ですか?と役所の職員に言われた。
寂しいとも思わなかった。私がしっかりしなければ、と思うようになっていたから。
あとは真面目に生きていくだけ。
私もこれ以上借金のことをダンナとの話に持ち出すのはやめようと思っていた。
しばらくは実家を訪れる度に義母から家計状況を聞かれたりして、ちょっと嫌な気分だったけれど、それも仕方ないと思えた。

そして、それから2年ほどは、私にとっては平穏な日々を送っていた。


続きはまた今度・・・
posted by はなこ at 17:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プチプチ家出してました

ダンナさんの借金で悩んでる方にお聞きします。

ダンナさんのお財布の中身って、覗いていますか。
私は、ときどき覗いています。もちろん内緒ですが、多分ダンナも知ってるでしょう。
プライバシー侵害だと言われるかもしれませんが、自衛策です。

木曜日の朝、ダンナのお財布を見ると、以前ATMに吸い取られたA社のカード
(今度はクレジット機能のついてないもの)が入っていました。
会員番号は以前とは違います。
早速ネットでA社のサイトから残高を確認すると、以前の会員番号の残高を含めて
現在の残高が表示されました。

13万も増えていました・・・


金曜日の朝、ダンナに「私に隠し事してるでしょ、話すことないの」と言うと
何もない、と言われました。
夜まで良く考えて、それでも話すことがないというなら、私ももう話すことなどない。
そう言って、夜になりましたが、連絡もなく、帰ってこないし、
A社の残高もさらに2万増えていました。

朝の出来事があったので、ダンナはきっと家に帰りづらかったんだと思います。
はっきりいって私にはダンナを変えようとすることはできても、変えるかどうかはダンナ次第で、こうやって繰り返してしまうなら、もう私にできることなどないんだと思いました。
借金をしないように見張っても、防ぐことなどできないのですから。

9時過ぎ、ダンナにメールしました。
「帰ってきづらいなら私が出ていくよ」
でもそこから何の応答もありませんでした。
夕方にA社の残高が増えているところからすると、仕事は終わってるはずなんです。
なのに・・・


家を出よう。とりあえず3連休だし、会社に行かなくてもいいし。
今日はもうムリだけど、このまま返事がなければ、明日はアパート探しをしようと。
夜10時近くになって、私は衣類を簡単にかばんにまとめて家を出ました。


とはいえ、3連休前日。
家から近いビジネスホテルは満室でしたし、友達は風邪をひいていたし、もう一人は連絡がとれませんでした。
仕方がないのでその日はまんが喫茶で夜を過ごしました。
11時少し前(ばっちりパチンコ屋が閉まる時間ですよね)、ダンナからメールがありました。
「どこにいるの?」
シカトして30分ほどすると今度は、「戻らないの?」
それに対して私は「戻らない方がいいんでしょ、もう。」と返しました。
ダンナのメールには、帰ってきて、話し合おう、なんてどこにも書いていませんでした。
もう一度「どこにいるの?」と聞かれましたが「言いたくない。一人で考えさせて」と返事するとメールが止みました。


まんが喫茶にいるのはいいのですが、眠くなってきました。
寝てる間ももちろんお金がかかります。
しかもリクライニングチェアといってもフラットになるには程遠く、隣の人がいることが気になって、休まりそうもありません。
なんだか私が出たことが悔しくなってきて、午前1時過ぎ、家に帰ってきました。
プチ家出というよりは、結局単に外出程度でした。

ダンナは大いびきでした。
明日はダンナも休み。じっくり話し合ってやろうじゃないの、と意を決して私も寝ました。
何をどう考えても、ダンナが借金を増やしてまでまたギャンブルをすることを肯定する理由は見つかりませんでしたし、財布を見ていることを責められたとしても、私は謝りたくないと思っていました。


翌日、ダンナは11時ごろまで寝た振りをしていました。
そのダンナを起こして、話し合いの席につかせました。
ダンナは、「アレもこれもダメだと言われたら、俺のストレスのはけ口がなくなる」と言いました。
仕事で辛い状況にあるのに、借金もあるので仕事を辞めることもできない。
もう今の仕事に就いているのが限界、家庭でも休まらない、なのにストレスのはけ口もない・・・ということでした。
いや、仕事が辛いけどマイホームで借金を抱えてたりして、子供もいたりして、それでも頑張ってる人なんて世間にごまんといるじゃないですか。
あなた一人じゃない。私だって仕事で大変なことはたくさんある。だけどあなたのために頑張ってる。
それに今までストレスのはけ口を簡単にギャンブルやら出会い系サイトで探してきたのだから、そのツケは人生のどこかで払わなければならないのは道理だと思います。
たとえお小遣いを5000円上げたところで、お金のあまりかからない趣味を見つけなければ意味がないとも思うし。
ダンナが子供だと思う部分は、こういった自己中心的な考えしかないところなんです。

ダンナが私に求めているものは何なのかを聞いても、わからない、と言います。
私ももう疲れたし、そんな程度にしか考えられないならもう離婚しよう、と切り出しました。
するとダンナは
「俺だって本当はあなたと離婚なんてしたくないよ。でもどうしてもストレスから自分が抑えられなくなってあなたにこんな態度をとってしまうし、パチスロに走ってしまう」
と言ってきました。
「俺が頑張ればいいんだから、俺頑張るから、それでいいでしょ?ごめんなさい」

何か、謝り方が違うと思うんですが・・・
私がムリヤリ頑張らせてる鬼嫁みたいな感じ・・・

でも、結局また今度も元さやに収まることになりました。
つくづく私は甘い人間です。
夫が変わってくれるという叶わないかも知れない夢を抱き続ける甘ちゃんです。
posted by はなこ at 16:01| Comment(6) | TrackBack(0) | 借金返済日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

履歴〜結婚するまで〜

*この「履歴」は過去の記録です。「履歴」のカテゴリーより読まれると読みやすいかと思います*


新居を決めようとしたとき、私はまだ東京で在職中。
GWの数日を新居選びに充てて、ようやく決まったのが最終日。
築19年の古いアパートだけれど、押入れが2間と収納が充実してたし、一軒家のように
玄関も脱衣所も広かったから、2人ともとても気に入った。
私は帰京するので、契約のことや敷金等の払込はダンナに任そうと思っていた。
その時に、初めてダンナの財布事情に触れてみた。

「敷金と仲介手数料と前家賃で、20万ちょっとか・・・立て替えておける?」

するとダンナは、「そこまではちょっとないなぁ」と言ってきた。
は??結婚するのに20万の貯金もないわけ?
なんだかちょっと不安になってきた。
きっと結婚式の費用は100%両親持ちなのだろう。

「じゃあ私が出すから、あと払っておいて」

今考えると、私が不動産屋に振り込めばよかったんだけど、
何らかの事情で、お金はダンナに渡してダンナが手続きすることになった。

そして数日・・・
なかなか忙しくて不動産屋に行けないとダンナが言うので
早くしないと決まっちゃうじゃない、とせかしたところ、どうも様子がおかしい。

「まさか・・・使っちゃったの・・・??」

「ごめん・・・つい出来心で・・・」


あぁ!!
許してしまった私のバカ!!


今思えばなんて何度言っても仕方のないことだけれど
このときに今の私だったら! 不安をそのままにはせずに、絶対に結婚はしなかっただろう。
人生の岐路。奈落の底に続く道を選んでしまった。

結局、不動産屋へのお金は、ダンナの両親が出してくれた。
多分、私が一度出したことなど微塵も口に出さず。
悔しい。両親にしたら「まったく2人ともお金がないのねぇ」と呆れたかもしれない。
違うのに・・・あんたの息子が使い込んだだけなのに・・・

そして私は私で、自分の両親にこのことを言えなかった。
ただでさえ、遠くに嫁ぐことで母には少し反対されていたから。
このことを話したら、絶対にダンナと結婚できない、と思っていた。
それ以上に、この人にはいいところがある、それは付き合ってみないとわからないことで、数回しか会ってない両親にはわからないことだから、
このことで、私の両親がダンナを嫌ってほしくなかった。

でも、年長者の見る目は、若い人には本当に貴重なものなんだって
後になってすごく良く分かったのだけれど。



そして1999年の7月初めに新居に入居。
入籍はまだだったけど、新しい家具が届いて、新しい隣人がいて、となりにダンナがいて。
幸せだった。そこからの数日間は・・・

引っ越してすぐにダンナのボーナスが現金で支給された。
さすがにピンハネしないで明細と一緒に持ってきた。
じゃあ明日さっそく入金してくるね、と言ったら、浮かない顔で

「実はちょっとボーナスで払わなくちゃいけないお金があるから」

「じゃあどのくらい?」と聞くと、30万のボーナスから28万を数えて、「これだけ・・・」

「もしかして、あなたの部屋で見つけた払込用紙の束がそれなの?」

「そう・・・それだけじゃないんだ・・・」

消え入るような声。
目の前が真っ暗だった・・・
そこからダンナの最初の借金告白が始まった。
消費者金融7社ほどと、信販系に3社ほど、合計10社に350万の借金。
ダンナは、だますつもりはなかったし、何度も両親に話そうと思っていた。
でも私を失い、両親の信頼を失うのが怖かった、と話した。

間違ってるよ・・・。
もう私はふるさとを離れてここまで来てしまった。
実家を離れるとき、母は泣いたんだよ。
幸せになるから、って約束してきたんだよ。
それはたった数日前のことなんだよ。
なぜもう後戻りできなくなってから話すの?
余計に悲しいよ。



私の中で何かが変わった。
このままじゃ結婚できない。
あなたのやっていることは詐欺と同じだよ。
あなたの作った借金なのだから私の責任じゃない。
どうするの?両親に話してよ、って詰め寄ってた。
後のダンナは、もうあやまるばかりで埒があかなかった。
自分が悪いんだから・・・、って。

当時の私は、その事実の前に、ダンナの気持ちを察することなどできなかった。
善悪で言えば、借金については全くダンナは悪だった。私は善。
悪は罰せられなければならないと思っていた。
両親に話して、と詰め寄ったのは、これはダンナ一家の解決すべき問題だから、ということに加えてダンナが両親に話すことで反省して欲しいと思ったからだ。
そしてその週末に、ダンナの実家へ一緒に出向き、両親へのカミングアウトを見守ることにした。

ダンナはきっとこの時、私の今までとは違う一面を見てショックだったのかもしれない。
首根っこを捕まえられて両親に突き出されようとしながら、それがこれから妻になる人だということに。


続きはまた時間のあるときに・・・

posted by はなこ at 19:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

履歴〜結婚するまで・私のこと〜

私のことも書こうと思う。


私は2人姉弟の上、長女。
俗に言うしっかりした長女、と小学生の頃には言われてた。
ただ、中学生になってからは変わった。

ここからは借金と関係のない余談ですが・・・

たまたま家の近くの公立中学がヤンキーばかりだったせいもあるけど、前回の日記に「子供のうちは少しは悪さしろ!」と力説できるくらいには、いろいろやってきた。
夜遊び、テレクラ遊び(冷やかしだけですが・・・)、タバコ、酒など。(書けないことも少し・・・)
母はあきらめずにいつも怒ってくれていた。言葉よりも平手が先に出る母だった。
近所の子供でも怒る母。友達の手前恥かしく、憎いと思ったこともあったが、父よりも母の方が好きだった。

高校は普通の公立高校へ進んだ。
高校の同級生には、中学時代に遊んだタイプのヤンキーは一人もいなかった。
すでにほとんどの悪さを中学でやってきてしまった私は、高校に入るなり周りの真面目に見える友達に囲まれて、また変わった。
小学生から考えると360度の方向転換。
高校生になったんだし、バカはもうやめようと思った。
中学時代の友達みんなも、遅くても20才までにはケジメをつけてまっとうな大人になっていた。
だから怒られる年齢のうちに悪さをしておくべきだと身を持って思うのだ。
ま、その彼らも、全てがまともな大人になるかと言われればNOなのだけど。


本題・・・

両親が自営で町工場を経営して、経営上も父がポンポンと趣味&無計画に借金して買ってしまった機械のせいで大きな借金もあったりして、随分大きくなってからもこのことが私の負い目となっていた。
決して裕福ではなかったし、町工場をやっていることを友達に冷やかされたりもした。
中学卒業までおこづかいもなく、友達と遊びにいくのに家の中をあちこち探し回ってようやく100円かき集め、それをお菓子やジュースに使う、ということがほとんどだった。
だから、怒られても父より母が好きだと言えるのは、父=借金をして私たち家族を苦しめる人、という考えがあるからだと思う。


そんな中で育った私。
ダンナとは正反対といってもいい性格で、割とお金にシビアな人間になっていた。
友達と飲みにいったり旅行に行ったりはしても、クレジットカードの分割払いは性に合わなかった。
免許取得費用も、結婚費用も全て自分で貯めていた。

私は、結婚するなら絶対にサラリーマンがいい、とずっと思っていた。
小さい頃から母が「お店をやっている人は苦労するからダメ!あと午年生まれもダメ!(←父が午年だから(笑))」と言われていたから。


1999年、結婚の話が持ち上がる。(ようやく前回からの続き・・・遅っ)


ダンナから結婚を申し込まれた際に、まず頭に思ったのは「これで2人が会うのにお金がかからなくて良かった」ということ。
サラリーマンだし、技術屋で手に職があるし、午年生まれじゃないし、私の嫌いな虫を退治できるし。
動機がなんだか不純な私でしたが、それよりも道楽に身の丈以上の借金をつぎ込んでいるのに、結婚を申し込んでくるダンナもダンナだと思う。
ダンナもこのままではまずいと思い、何度となく借金のことを両親に言おうと思っていたそうです。
で、精算してもらおうと思っていたんでしょう。
でもとうとう言えなかった。


当時私にもローンがあった。総額20万ほど。
結婚の雰囲気が出た頃に、フィットネスクラブとエステが一緒になったところに通い出し、そこで分割払いにしてもらった○プラスでの借金。
今思えばアホな限りです。ダンナのことなど言えようもありません。
それを抱えて結婚するわけに行かないと、私は貯金から20万を吐き出し一括返済。
会社も円満退職しました。
さぁ、これで身辺整理もしたし、結婚準備をしよう!と意気込む私。


で、新居を見て回って決めようとしたときに事件は起きるんです。


続きはまた時間が取れたときに・・・
posted by はなこ at 00:32| Comment(3) | TrackBack(1) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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