2005年12月27日

履歴〜別居〜

*この「履歴」は過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいと思います*
ちなみに、今回、かなり長いかも・・・



別居をすることにした私達。
仕事をしてなかったから、私が出て行くことにしたのだけれど、はじめはダンナの実家にお世話になろうと思っていた。
その理由は2つ。
一つは、私は今までのことをひとつも自分の親に話したことがなかったから、心配させたくなかったし、全てを説明するのにとても時間がかかると思ったから。
もう一つは、母の言葉。
「相手の親を自分の親と思って、何でも相談しなさい。帰るなら、相手の実家に帰りなさい。」 嫁ぐときにそう言われていたから。
自分の実家ならそれほど気兼ねはないけど、絶対に離婚しろと言われるはず。
しかしダンナの実家だったら、元さやに戻れる可能性は高かった。

でもダンナに、「○○(←ダンナの実家の地名)に行くから」と告げると、ダメだと言われた。(何で別居するのに、私の居場所までダメ出しするわけ?)
仕方なく私は自分の実家に連絡し、急でごめん、行くところがないから・・・と泣きついた。
母からは、「私がそっちに行って仲裁するから、待ってなさい」と言われたが、昨夜の雰囲気からすれば、ダンナはそれまでに仕事に出かけて帰ってこないに違いなかった。
実家には、私の弟夫婦が母と一緒に住んでいた。
母としたら、力になってやりたいが、私が戻るとお嫁さんが気を遣うから、面倒なことを持ち込むのはできれば避けたいという気持ちだったのかもしれない。
それでも戻らせてほしいと言うと、家事はお嫁さんと半分ずつすること、迷惑料をいくらか包むことを条件に、戻ってきなさいと言ってくれた。

自宅近くの何気ない風景を見るにつれ、もうこの景色を見るのも最後かもしれないと思うと寂しくなった。


実家に帰ると、お嫁さんが温かく迎えてくれた。
一緒に泣いてくれた。
母も仕事を切り上げて帰ってきた。
私はそこで初めて、結婚してから今までのことを全て、母に話したのだった。
母は、驚きの声を何度も上げ、話の最後に「何で今まで言わなかったの・・・。疲れたでしょう。別れて戻ってきなさい」と言った。
東京から東北という遠くに嫁ぎ、思うように会えない娘が、さらに夫の借金やギャンブルに苦しんでいたこともあり、夫婦仲も悪い、子供もいないとあっては、頑張れという親の方が珍しいだろう。

全てを話すと、母の心配が増えた分だけ、私の気持ちが少しだけ楽になった。
そして日を追うごとに、温かい家庭の中にいる自分が癒されていることを感じ、その反面、どうして私達夫婦は弟達夫婦のように温かい家庭を築けなかったのだろうか、と思っていた。

別居中、友達には一切会わずに、ただひたすら一人でダンナとのことを考えていた。
今までの5年間、確かにダンナの言う通り、私の意見だけを通して生活してきていた。
私の考えが正しいはず、ダンナは借金やギャンブルをする人だから私がしっかりしなければ、と思って頑張って突っ走ってきたことだけれど、そこにダンナの意見はほとんど通ってなかったと気づいた。
頑張っているのだから、ダンナにそれを認めて欲しかったけれど、ダンナは認めるどころかそんな私に嫌気をさしていたのだ。
ダンナに意見がなかったのではない。私に意見ができなかったのだ。

考えれば考えるほど、離婚を迷うというよりは「もう一度やり直したい」という気持ちが固まってきた。
私がこれから直すことな何なのか、洗い出して、具体的にどうしようか、自分なりに考えてみた。
母にも気持ちが固まっていることを話した。
私が離婚して近くに戻ってきてくれると思っていた母は、それを聞いて溜息はついていたけれど、「大人のあんたが決めたことなら応援するから」と言ってくれた。
ただ、ダンナに電話をしても出てくれないし、メールをしても「もう戻れない。あなたがいない部屋にもそのうち慣れるでしょう」というような内容のメールしか来なかった。
ダンナはもう、離婚に向けて意思を固めているようだった。多分、別居の前から。
だから私がダンナの実家にお世話になると言った時、反対したのだと分かった。

私は考えていたこと、これから私がやるべきことを手紙に書いて出した。
ダンナが主導権を握って生活していくこと。
その象徴として、財布は別々にし、生活費は項目ごとに分けて私とダンナで出し合うこと。 お互いが一人で自由になる時間を持てるように配慮すること。

手紙が届いた頃、ダンナから「私からも手紙を出します。荷物と一緒に」というメールが来た。
だけど、手紙も荷物も、待っても来なかった。
(私の持ち物が送られてくるものだと思っていた)


別居して1週間ほどしたところで、私は子供達の奇声という慣れない環境の中にいたことと風邪をこじらせたこと、そして別居しているというストレスから、突発性難聴にかかり耳鼻科に通うことになった。
こんな目に遭うのも、離婚させられる私にお似合いだ、と自嘲気味になった。
そんなに嫌うなら、私一人がダンナにすがり付いてても夫婦とは言えないだろう。
ただ、このままではダメだ。きちんとした話をして、お互いの気持ちを話して、それでも分かり合えないことを確認して離婚を決めたいと思っていた。

ダンナと話し合いたいけれど、でもそのきっかけがつかめないまま、1日、1日と過ぎていった。
4月初旬に家を出て約2週間ちょっと。ゴールデンウィークも近くなってきた。
失業中の私は、連休明けに、失業状態確認のために向こうの所轄のハローワークに行かなければならなかった。
もしかしたらこのまま離婚になるかもしれない。
すると今の失業給付は、私が一人に戻ってまた生活基盤を築くまでの、大切な資金になる可能性がある。
行かないと1か月分の給付が止められる。絶対に、ハローワークに行かなければ。

でも日帰りになるだろうか・・・家に寄れるのだろうか・・・
寄ったとしても、私はまたその家を出てここに帰らなければならない。
自分の家であって、自分が入れない場所になってしまっていた。


別居をしたことでダンナの気持ちが見え、私の所業も見え、これからやるべきことと気持ちだけは固まった私だったが、どちらに進むにしても道の最初をふさがれてしまった状態。
日が経つにつれ、ダンナの離婚の意思が固いことを実感し、離婚という道を選んだ場合のことをよく考えるようになった。


しかしある日突然、私の携帯が鳴り、道が開けるきっかけが訪れた。
それはダンナの友達だった。


続きはまた時間のあるときに・・・

posted by はなこ at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。