2006年02月11日

履歴〜今回の借金発覚まで〜

*この「履歴」は過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいと思います*

最終回です。


再び一緒に暮らすようになって、私たちの生活は、それまでとは大きく変わった。
まずやはりダンナが、今はまだ子供を持つ気持ちになれないということから、私は無職で次の妊娠待ちという状態から一転、それからすぐに本格的な就職活動をはじめた。
そして、お小遣い制を変えてそれぞれの財布を持つようになった。
家賃関係や光熱費関係はダンナの口座から引き落とし、私は現金で支払うもの・・・新聞代や食費・ガソリン代、あとは自分の携帯代を主に払うことで、生活費の分担をした。
それ以外は基本的に自由だが、貯金はしていこうという話はしていた。

不安はあった。
でもダンナが選んだ道。私が選んだ道。しばらくこれでやってみるしかないという気持ちだった。

しかし不安は的中した。
それからおよそ1ヵ月後、ダンナの持つクレジットカードの請求書が届いた。
それまでの癖で私が開封すると、口座のお金を荒々しく使っていただけではなく、クレジットカードのキャッシングで、てっぺん(40万)まで借りていることがわかってしまった。
(現在返済中のD社のことです)

「約束破り」

ダンナから帰宅するという電話連絡の際に、そう告げたところ、親展と書いてある自分あての封書を勝手に開くな!と逆ギレしてきた。

もう驚かなかった。やっぱりそういう人か・・・
(読んでいる人も、もう驚かないですよね)
私の中には、すでにこのときから「いつか離婚するときのためにお金を貯めなければ」という気持ちが芽生えた気がする。ダンナがこれでは慰謝料も期待できそうもないし。
それまでは「早く家計から貯金をして、いい暮らしをしたい」という気持ちの方が強かったのだが。

子供のことも話題に出さなくなった。
正社員として仕事も始めたから、と周りに話したこともあったが、正直なところ欲しいという気持ちも萎えてしまった。

私も今の会社に運良く正社員として就職できたけれど、給料は手取りで月に12,3万、その中からつきに6万程度の家計への出費があるため、貯金は思うように貯まっていかない。
その年の冬のボーナスも、勤めて1年未満ということでもらえなかった。
なのにダンナはボーナスについては一切を自分の自由にし、かつ口座にお金を残そうとかキャッシングの返済を進めようとも思っていないようだった。

ま、頑張ってねぇ〜(心の声)

表面は仲の良い夫婦、ダンナの借金(クレジットカードのキャッシングのみだと思っていた)は見て見ぬフリ、でも心の中では「あなたはあなた、私は私」そう思ってる冷えた夫婦だった。
実際、ダンナの負担を軽くしてあげようなどと話を持ちかけることもなかった。

2005年の3月、ダンナの会社から初めて期末賞与が支給された。
私はそこで久々にカマをかけてみた。
「よかったね。これで少しはキャッシングの残高が減らせるんじゃない?」
するとダンナは、
「キャッシングはリボ払い以外は一括で返済しなければいけないから、今回はムリだ」
とサラッと言ってのけた。

ムリだから結局また全額パチスロですか・・・


こんな生活、絶対に長く続かないだろうな、と感じていた。
結局、自分のお金が底をついたあたりで、根をあげてくるだろうと思っていた。
しかし現状はもっともっと厳しかった。
それはダンナの、精神的に弱いくせに見栄っ張りな性格が災いしていた。

仕事で辛い→お金を使って発散したい→でもお金がない→私にも言えない→サラ金から借りよう→返せないから借金が膨らむ→辛い→仕事が上手くいかなくて辛い→お金を使って発散・・・

こんな借金無限ループにはまっていたのだった。


ダンナの様子がおかしいと感じ始めたのは、5月頃から。
普通に話し掛けても応答しなかったり、眠れないといって夜中に一人でネットをしていることが多くなっていた。(ネットは単純に出会い系サイトに接続してたからかもしれない)
外食でもしようか、と言っても、「たまにはアナタが払ってよ」と言う。
そろそろ根をあげる頃かな、私に財布を渡してくれたら楽になれるのにねぇ。
どうするんだろ?と様子を伺っていた、2005年6月始めのことだった。

『5月末引落しのプロパンガス代が、引落しできませんでした。つきましては6月7日までにお支払いいいただかなければ・・・』

まさか・・・!そこまでお金が少なくなってるとは気づかず、うろたえた。
ダンナは出張中。携帯に連絡したが「そんなはずはない。間違いだ」の一点張り。
ウソつけ。自分が一番、このときが来るのを知っていたくせに。
多分、ギリギリながらも何とか私に気づかれないように、口座引落しのお金くらいは残していたつもりなんだろうが、ガス代だけは月末日になっていて油断したのだろう。

ガスを止められても困るので、仕方なく私はガス代を支払って、業者に連絡した。
夫婦で暮らしていながらガス代の1万円も払えないなんて、と業者は思ったことだろう。

次の日にダンナが出張から帰ってきて、何度も経験した重苦しい話し合いを、また始めた。
さすがに2回目の大きな借金。俺が主導権を握ると宣言して始めた再スタート、それがこんな結果になってしまったとなって、なだめてもすかしても、ダンナは死にたいとか、死ねばいい人間なんだ、としか話さず、なかなか全てを話そうとしなかった。

話し合いを始めて3日後、ようやく、総額306万まで膨れ上がった借金が発覚した。
結婚前に借金に苦しんでいたことを忘れて、またここまで増やしてしまったことに心底呆れ果てたが、やはり今この人を見捨てることはできなかった。
そして私は、ダンナの自力返済に協力することにしたのだ。
安易に了解したのではない。私も相当悩んで決めたことだった。

ここに書かれるダンナは、本当に人でなしのように描かれているかもしれない。
でも実際のダンナは、優しいところもたくさんある人。
ただその優しさゆえ、自分の意見を言えず押し殺して、一人で苦しんでしまう。

共依存症と言われることもある。
でも私自身は、ダンナを家族としてみているから協力しているんだと思っている。

・・・その後の全ては『借金返済日記』のカテゴリー6月分に続く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが私たち夫婦の履歴。
毎回書くたびに思い返しては、借金や浪費や夫婦会議と切っても切れない生活を送っていたのだなぁとやりきれない気持ちになる。
でも私自身、このシリーズを書くことで、これまでの結婚生活に対して気持ちの整理ができたように思う。薄々理解していたことをはっきりと認識できたし、またそれを読む人に伝えたかった。
今回の借金発覚までに自分がしてきたことが、ダンナにとっては正しい更生方法ではなかったということ、ダンナの弱い部分をえぐり続けてきたのは私自身だったのかも、ということ、カカア天下でいるのが夫婦円満というのも、やり方と夫婦の性格次第だということ、そして一番伝えたかったのは、ダンナの意識改革をするなら、弱さから借金や浪費に逃げる性格を改革しなければ問題解決に至らないということ。

我が家ですら未だに問題が解決したと断言できない。
完済して10年して、その間にも辛いこととかがあっても借金に手を染めるようなことがなくなって初めて、ようやく解決といっていいのかもしれない。
目標が遠くにあるから、今大変でも頑張れるような気がする。

私には常に離婚するという手も残されている。
けれど今は7:3くらいの割合で、ダンナの意識改革をしてもう一度立ち直り、少しでも楽しい結婚生活を送る方を夢見ている。
今後も離婚するかどうかは、ダンナの行動次第。
家族と思えなくなるようなことがあれば、離婚するかもしれない。

そんなことを踏まえて、借金返済日記に綴る私たちを見ていただけたら嬉しいと思う。
毎回長い履歴を読んでいただいて、ありがとうございました。
posted by はなこ at 20:51| Comment(3) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

履歴〜復縁の条件〜

*この「履歴」は過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいと思います*

久々の「履歴」シリーズです。
待っていてくださった方々(いないかも・・・)、すみませんでした。
なんか書けば書くほど内容が重苦しいので、やめようかとも思ったんですが、ここまで書いたら自伝だと思って書いてしまおうと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2004年の春、私たちは別居していた。

私が実家に帰っている間、ダンナは何をしていたのか。
それまで預かっていた、ダンナ名義のキャッシュカードと通帳は、出てくるときに置いてきていた。
ただ、ダンナの口座にはテレフォン&ネットバンキングの登録もしていて、振込みや残高照会、直近の利用明細を知ることができる。
私はそれを利用して、実家の電話からダンナの口座の動きを知ることができた。

話すのも嫌になるほど、金遣いが荒いダンナがそこに存在した。
口座にあったお金は1/4ほどになっていた。
週に数回というよりほぼ毎日、お金を数万単位で下ろしている現状を知った。
多分、パチンコで大負けでもしているのだろう。
それでも「ようやく俺の金が戻ってきた」と喜んでいるのだろうか。
そのお金は私たち2人で貯めたものなのに。
ダンナが稼ぎ、私が補填して、私が「管理」していたからこそ貯められたお金だったのに。

しかし、借金を告白された時に聞くと、この時既にサラ金に再度手を出していたようだ。
一時しのぎで、その返済などもしていたのかもしれない。


でも私はそのダンナの元へ帰ろうとしていた。
ダンナはこのままなら絶対にまた借金をする。させてはならない。
お金がなくなったら絶対にダンナは私を金づるとして考え、本当の気持ちを聞くことなく、「俺が悪かった、一緒にやりなおそう」と言うに決まっている。
離婚するかしないかは、私の人生にとっては本当に大きな問題だ。
だからダンナの本当の気持ちを、この耳で聞きたかった。
なのに、そのためにダンナに連絡をとってもなしのつぶてで、事態が長引きそうな雰囲気があった。


5月に入ってすぐのある夜、私の携帯に1本の電話が入った。
知らない番号だがしつこく鳴るので出てみると、それは私も良く知るダンナの友達だった。

友達 「今、○○(ダンナ)の自宅で一緒に飲んでるんだけど」

私 「そうなんだ・・・○○、元気そう?」

友達 「まあね。そんなことより話を聞いたけど、大変だったね。全部、アイツが悪いんだよ」


その言葉を聞いて、私の気持ちがどれだけ救われた気持ちになったか。


私 「そうかな。ダンナは私がこんな風にさせたと思ってるみたいだし、もう夫婦でいたくないみたい。もうムリなんだって。」

友達 「だめだよ別れちゃ。お互いに後悔するよ。今、電話変わるから待ってて」


そう言って、電話がダンナに変わった。
約3週間ぶりに話したダンナの声は、思っていたより穏やかだった。
電話を変わるなり、照れくさかったのか唐突に言った。

ダンナ 「まあそういうことなんで・・・ 一度話し合うか」


普段から誰にでも気さくな、ダンナの友人。
電話してきてくれたことは、今でも本当に心から感謝している。

それから数日後の休日に、自宅で話し合うことになった。
自分の気持ちはいつわりなく話そう。自分の気持ちが伝わって元に戻れるなら何よりだし、分かり合えなければ離婚しよう。自分ひとりが離婚しないとすがりついてても夫婦とは言えないだろうから・・・
そう気持ちが決まっていた。


話し合いの日、ダンナは駅まで迎えにきてくれていた。
久々に会った私の、突発性難聴になった右耳を心配する言葉をかけてくれた。
私に対するトゲが取れている・・・。何となく、話し合いの方向性がいい方に向かう予感がした。

だが実際に話して見ると、ダンナの気持ちは頑なだった。
私は前に書いたような気持ちを淡々と話した。後はあなたの決定次第。
お金を荒っぽく使っていることも知っていると伝えたし、離婚するなら家も仕事もない私の生活の方が極端に不利になるのだから、100万くらいの援助はしてほしいことも伝えた。
ダンナは、どうせ一緒にいれば早かれ遅かれ同じことの繰り返しなんだからと、私の「これからは私も変わっていく宣言」を一蹴したし、自分が男として人間として半人前に扱われ、主導権もなく全てが私の思うままの中で生活してきたことをとても嫌がっていたことなども、また私に話した。
援助の件は、分割でもいいのか、と聞かれたが、分割では払わないだろうことを考えて断っておいた。

結局その日の最後は、ダンナが悩んで唸っている状態から進展せず。
ダンナの答えが出るまではこの家にいさせてもらうことにした。

翌日の朝、一応朝ごはんを作ってみたが、食べてもらえなかった。
私が出て行ってから、朝ごはんを食べないでいたので、そのままの習慣でいいと言う。
たった3週間だけれど、ダンナひとりの生活習慣というものが芽生えているのだ、と思った。

2日目の夕方、出先のダンナからメールが入った。
気持ちがほぼ決まったので、どこか外で食事しながら話そうと言う。
家の近くの居酒屋の個室で、もう一度話し合うことになった。

ダンナは、もう一度やり直す方を選んでくれた。
ただ、それには条件を出したいと言ってきた。
それは大きく言えば、家庭の主導権はダンナが持つこと、お互いの口座はお互いが管理し、生活費を出し合うこと、子供はまだ考えられないので私ももう一度仕事を持ち、家の中やダンナ以外にも目を向けてくれること、という3点だった。

私も条件を出した。
他に女がいるようなら別れること、サラ金の取立てが来るようなことがあっても私は一切払わないこと、1日に1度は同じ食卓でごはんを食べること。

お互いにお互いの条件を了承し、しつこいが私たちは再度やり直すことになった。
やり直すからには笑顔で生活を、と思っていたし、私は条件を守っていたつもりだった。
だけどダンナには当時から借金があったし、風俗にも出入りしていた。
ダンナがそれを隠した上で、私とやり直そうとしたことは、後になって分かったことだった。
もしかしたら、私が援助を申し出た100万が払えそうもないのでやり直したのかもしれない。
ダンナは「違う」と言うけれど・・・


長くなってしまったので、続きはまた今度・・・
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2005年12月27日

履歴〜別居〜

*この「履歴」は過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいと思います*
ちなみに、今回、かなり長いかも・・・



別居をすることにした私達。
仕事をしてなかったから、私が出て行くことにしたのだけれど、はじめはダンナの実家にお世話になろうと思っていた。
その理由は2つ。
一つは、私は今までのことをひとつも自分の親に話したことがなかったから、心配させたくなかったし、全てを説明するのにとても時間がかかると思ったから。
もう一つは、母の言葉。
「相手の親を自分の親と思って、何でも相談しなさい。帰るなら、相手の実家に帰りなさい。」 嫁ぐときにそう言われていたから。
自分の実家ならそれほど気兼ねはないけど、絶対に離婚しろと言われるはず。
しかしダンナの実家だったら、元さやに戻れる可能性は高かった。

でもダンナに、「○○(←ダンナの実家の地名)に行くから」と告げると、ダメだと言われた。(何で別居するのに、私の居場所までダメ出しするわけ?)
仕方なく私は自分の実家に連絡し、急でごめん、行くところがないから・・・と泣きついた。
母からは、「私がそっちに行って仲裁するから、待ってなさい」と言われたが、昨夜の雰囲気からすれば、ダンナはそれまでに仕事に出かけて帰ってこないに違いなかった。
実家には、私の弟夫婦が母と一緒に住んでいた。
母としたら、力になってやりたいが、私が戻るとお嫁さんが気を遣うから、面倒なことを持ち込むのはできれば避けたいという気持ちだったのかもしれない。
それでも戻らせてほしいと言うと、家事はお嫁さんと半分ずつすること、迷惑料をいくらか包むことを条件に、戻ってきなさいと言ってくれた。

自宅近くの何気ない風景を見るにつれ、もうこの景色を見るのも最後かもしれないと思うと寂しくなった。


実家に帰ると、お嫁さんが温かく迎えてくれた。
一緒に泣いてくれた。
母も仕事を切り上げて帰ってきた。
私はそこで初めて、結婚してから今までのことを全て、母に話したのだった。
母は、驚きの声を何度も上げ、話の最後に「何で今まで言わなかったの・・・。疲れたでしょう。別れて戻ってきなさい」と言った。
東京から東北という遠くに嫁ぎ、思うように会えない娘が、さらに夫の借金やギャンブルに苦しんでいたこともあり、夫婦仲も悪い、子供もいないとあっては、頑張れという親の方が珍しいだろう。

全てを話すと、母の心配が増えた分だけ、私の気持ちが少しだけ楽になった。
そして日を追うごとに、温かい家庭の中にいる自分が癒されていることを感じ、その反面、どうして私達夫婦は弟達夫婦のように温かい家庭を築けなかったのだろうか、と思っていた。

別居中、友達には一切会わずに、ただひたすら一人でダンナとのことを考えていた。
今までの5年間、確かにダンナの言う通り、私の意見だけを通して生活してきていた。
私の考えが正しいはず、ダンナは借金やギャンブルをする人だから私がしっかりしなければ、と思って頑張って突っ走ってきたことだけれど、そこにダンナの意見はほとんど通ってなかったと気づいた。
頑張っているのだから、ダンナにそれを認めて欲しかったけれど、ダンナは認めるどころかそんな私に嫌気をさしていたのだ。
ダンナに意見がなかったのではない。私に意見ができなかったのだ。

考えれば考えるほど、離婚を迷うというよりは「もう一度やり直したい」という気持ちが固まってきた。
私がこれから直すことな何なのか、洗い出して、具体的にどうしようか、自分なりに考えてみた。
母にも気持ちが固まっていることを話した。
私が離婚して近くに戻ってきてくれると思っていた母は、それを聞いて溜息はついていたけれど、「大人のあんたが決めたことなら応援するから」と言ってくれた。
ただ、ダンナに電話をしても出てくれないし、メールをしても「もう戻れない。あなたがいない部屋にもそのうち慣れるでしょう」というような内容のメールしか来なかった。
ダンナはもう、離婚に向けて意思を固めているようだった。多分、別居の前から。
だから私がダンナの実家にお世話になると言った時、反対したのだと分かった。

私は考えていたこと、これから私がやるべきことを手紙に書いて出した。
ダンナが主導権を握って生活していくこと。
その象徴として、財布は別々にし、生活費は項目ごとに分けて私とダンナで出し合うこと。 お互いが一人で自由になる時間を持てるように配慮すること。

手紙が届いた頃、ダンナから「私からも手紙を出します。荷物と一緒に」というメールが来た。
だけど、手紙も荷物も、待っても来なかった。
(私の持ち物が送られてくるものだと思っていた)


別居して1週間ほどしたところで、私は子供達の奇声という慣れない環境の中にいたことと風邪をこじらせたこと、そして別居しているというストレスから、突発性難聴にかかり耳鼻科に通うことになった。
こんな目に遭うのも、離婚させられる私にお似合いだ、と自嘲気味になった。
そんなに嫌うなら、私一人がダンナにすがり付いてても夫婦とは言えないだろう。
ただ、このままではダメだ。きちんとした話をして、お互いの気持ちを話して、それでも分かり合えないことを確認して離婚を決めたいと思っていた。

ダンナと話し合いたいけれど、でもそのきっかけがつかめないまま、1日、1日と過ぎていった。
4月初旬に家を出て約2週間ちょっと。ゴールデンウィークも近くなってきた。
失業中の私は、連休明けに、失業状態確認のために向こうの所轄のハローワークに行かなければならなかった。
もしかしたらこのまま離婚になるかもしれない。
すると今の失業給付は、私が一人に戻ってまた生活基盤を築くまでの、大切な資金になる可能性がある。
行かないと1か月分の給付が止められる。絶対に、ハローワークに行かなければ。

でも日帰りになるだろうか・・・家に寄れるのだろうか・・・
寄ったとしても、私はまたその家を出てここに帰らなければならない。
自分の家であって、自分が入れない場所になってしまっていた。


別居をしたことでダンナの気持ちが見え、私の所業も見え、これからやるべきことと気持ちだけは固まった私だったが、どちらに進むにしても道の最初をふさがれてしまった状態。
日が経つにつれ、ダンナの離婚の意思が固いことを実感し、離婚という道を選んだ場合のことをよく考えるようになった。


しかしある日突然、私の携帯が鳴り、道が開けるきっかけが訪れた。
それはダンナの友達だった。


続きはまた時間のあるときに・・・

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2005年12月12日

履歴〜転居〜

*この「履歴」は過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいと思います*


流産は、私にとってとてつもなく重い出来事だった。
一人の命を、私が殺してしまったかのような自責の念。
原因はわからなかったし、主人からも誰からも責められなかったけれど。

流産後の経過が思わしくなく、思いがけず2週間も仕事を休んだ私。
そのことがきっかけになったかどうかは分からないけれど、ちょうど私のいた会社が
支店事務を東京の本店に移管することになり、事務職の削減をしなければならず
私がリストラの対象とされ、その年の秋に退職をした。

また、当時のアパートがとても湿気のひどい部屋で、雨漏りがあったりして
壁も棚も押入れの布団もしょっちゅう青カビが発生していたことも気になっていた。
これからまた子供を授かっても、この部屋にいたら子供も健康に育たないだろう。
そう2人で話し合って、ちょうど私が退職するのと同時に、今のアパートに引っ越した。

今度のアパートは田んぼばかりの中だけれど、新築のアパート。
設備もマンションみたいだし、新しいモノ好きなダンナも新しい部屋を気に入っていたし、
新しい暮らしはとても楽しかった。
貯金は、引越しでほとんど底をついたようなものだった。
でも会社都合で退職した私にはすぐに失業手当がついたし、この手当てがあるうちに次の妊娠ができたらいいな、という思いがあった。

ダンナはその後もパチンコ等していなかったようだった。
ただ一つ気になったのは、新しいアパートの部屋の一角に設けた祭壇(というほどでもないけど)に、ダンナが一度もお線香や成仏を唱えることがないことだった。
気持ちの問題だから、強制はできないけれど、それにしても冷たいんじゃないかと思っていた。


翌2004年になる頃に医者からも解禁OKを言い渡され、私達はまた子作りを始めた。
でも、ダンナは私が排卵日ごろに誘わないと、しようとはしなかった。
それがまた焦りを煽ったし、不安だった。
考えたくなかったけれど、ダンナが子供を欲しがっていないことは確かなようだった。

それが本当に判明したのは、2ヶ月ほどした頃。
またダンナの帰宅が毎日遅くなり始め、しかも帰ってくるとほとんど無言。
「一気に60代になったように疲れた」と言って、夕飯を食べたらすぐ寝るような生活だった。
「なんなの?言いたいことがあるなら言ってよ」
そう私が言っても、「言ってもムダ、わかってもらえないし」とか「考えてみなよ、胸に手を当てて」としか言わない。
(ダンナはこうやって、自分の気持ちを言わないばかりか、自分が辛いのは他人のせいだということにする性格です・・・どうせ俺が悪いんだろ、と言うのは、本当はそう思ってないんですよね)

ある日ダンナが帰宅してから、とうとう聞きたかったことを口に出した。
「本当は子供、欲しくないんでしょう? それより私と一緒にいたくないんでしょ?」
するとダンナは、とうとうキレた。
そうだよ。子供が嫌いなんだよ。それなのにあなたは子供子供と言う。
俺の気持ちなんか知ろうともせずにさぁ。
大体ね、俺は結婚してからの5年間、あなたに管理されて干渉されて本当に嫌気が指したんだよ。仕事でもストレスを抱えて、家庭でも全く気持ちが休まらない。
もう嫌だ。俺の5年間を返してくれ。

結婚してから初めて、ダンナが私に対する気持ちを暴露した瞬間だった。
薄々わかっていたけれど、本当はそんな風に思ってたんだ、と思うとショックだった。
5年間を返して欲しいのは私も一緒だった。
結婚したことすら後悔したことも数回ではなかった。
それでも頑張ってきたのは、私の一人舞台だったのだろうか。

ダンナの吐露をひとしきり聞いていた。
とにかく私への嫌悪の気持ちが全面に出ていた。
言われる言葉が、本当に私を表しているようで、何で私は自分自身のことをこんなに嫌な人間にしてしまったのか、なぜ直そうとできなかったのか・・・
ダンナがパチンコに手を出しているのは、本当は私へのストレスが主な原因だったんだろう。


でも私が反省するには時が遅かったようだった。
少し冷却期間を置こうと言ったのは、多分私からだったような気がする。
その夜、イビキをかいて眠るダンナの横で(←良く寝られますよね)泣き続けて夜を明かした私は、次の日、泣いて母に頼み込み、東京の実家に帰ることになった。
預かっていたダンナの口座のキャッシュカードと通帳を置いて。



長くなってしまったので、続きはまた今度。
(だいぶ最近のことに近づいてきたなぁ・・・)
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2005年11月20日

履歴〜一転して〜

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ダンナが帰宅するなり離婚を申し出た私・・・

ダンナは、立ちつくした状態から私のそばに正座した。
私は頭を下げ続けた状態。

もう、全部わかっているから・・・サラ金から借金してることも。
私が何を言ってもダメなんでしょう?
もう疲れたよ・・・離婚してください。

そう私が静かに言うと、「ごめん。全て俺が悪いんだ」と言った。
それもいつものセリフ。信じられるわけがなかった。
その時はそう思ってるかもしれないけど、しばらくすればまた同じことの繰り返しだった。
もうしない、もうしないと言うけど、その根拠は何?
これからの俺を見ててくれと言うけど、見てたら見てたで監視だの管理だの言うよね。
全てを見せようとしないくせに、何を見ればいいわけ?表面だけ?
パチンコ業界に勤めてるからってパチンコが勝てるわけ?
業界に勤めてるからわかるんでしょ? 勝て続けるのはほんの一握り。
その他大勢が莫大なお金をつぎ込むから、店が莫大な利益を生むって。
勝ったときのことばかり覚えてるなんて、サルだよ。

いろんなことを言った。
最後だと思ったから。
でもダンナは、離婚しないでくれ、絶対にもうしないから、とお願いしてばかりだった。
仕事上や人間関係のストレスで、ついパチンコに手を出してしまうんだ。
勝ったときのことを覚えててやるんじゃない。
持ち金全てを負けてなくしたことが怖くて、勝つまでやめられないんだ。
分かってくれなんて言えないけれど・・・

そんなことを言っていた。
言い訳をしているという風ではなく、やっと気持ちを言えたという感じだった。


甘いと思われるだろうが、その時も私はやり直すことにした。
心底嫌いにはなることはできなかったから、離婚しないでほしいと言われたら、「もし立ち直ってくれるなら」という気持ちになってしまうのだ。

借りてるところは1社だけ、と何度聞いても答えるダンナ。
13万も、貯蓄から何とか一括で返済した。
サラ金のカードは私がハサミを入れた。
(解約する・貸付自粛依頼ということを知らなかったのも、甘さの一つですね。
一括返済2度目のその会社からは、上得意と見られてしまってたんでしょう。)

正しくはやり直すというよりは様子見。以前と変わらない仮面夫婦状態だった。
でもやっぱりあの時、私から本気でどうしても離婚したいというオーラが出ていて、それを感じ取ったのだろう。ダンナがそれまでの1年でひっきりなしにやってきたことが、それ以降ピタッと止んだのだ。

理由は聞いてないからわからないが、やめられるもんだなぁ、と妙に感心していた。
少なくとも私はその時点で、ピタッとパチンコを止めたダンナを信じ始めていた。


私達はそろそろ30歳を迎えようという年齢になっていたし、子供が欲しいと思えるようにもなった。
でも結婚してから、こうしたいろんな問題があったりしたのもあって、夫婦生活はだんだんとレス状態に陥っていたから、欲しいと思ってもすぐにできるわけはなかった。

数ヶ月、排卵について勉強したり、排卵検査薬を使ったりしながら様子を見ていた。
2003年の春、もう今回ダメだったら不妊治療に行こうと思う、と話してた矢先・・・
いつもと違うおなかのあたりの発熱を感じたり、ポーッと火照る感じが続いて、妊娠検査薬を試すとなんと妊娠の陽性反応。ウソみたいな本当の話だけれど。
私はすごく嬉しくて、写メールで検査薬の陽性のしるしを撮り、ダンナにメールした。
ダンナも喜んでくれていた。

それから毎日、いろんな楽しいことを考える時間が増えて、自然とダンナの心配は薄れていったし、ダンナも楽しみにしてくれているようで、子供についての会話も増え、ヒーリングCDを買ってきてくれたり、これから父親になる人のためのサイトみたいなものを見るようにもなっていた。
そのダンナの姿を見て、私もまた嬉しかった。
ようやく人並みの幸せが実現される、そんな気がしていた。

仕事については、パートなので育児休業は望めず、辞めるしかなさそうだったが、その時点での貯蓄は50万程度、ダンナの給料は手取り21万。
出産後も早めに働くという選択をするしかなかった。
それでもまた働き始めるまでに少し貯金をしておかなくては、という思いから、会社は7ヶ月か8ヶ月まで働いて、出産手当金をもらおうと企んでいた。

(出産手当金とはいわゆる30万円の出産一時金とは違います→詳しくはこちら


でも人生は、自分の意図しないところでも転がっていくもの。
私はその赤ちゃんを産んであげることができなかった。
楽しみにしすぎて荷が重く感じたのか、私達では両親として不足だったのか、赤ちゃんは、夏のある日1人で旅立っていってしまったのだ。


長くなってきたので続きはまた今度・・・
posted by はなこ at 22:46| Comment(5) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月16日

履歴〜仮面夫婦〜

この時季、年末まで忙しいダンナは、今週も土曜日まで出張中です。
時間を持て余すわ〜、と思ってても結局寝るのは普段よりも遅かったりするんですよね。


*この「履歴」は過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいと思います*


両親に話すことで許してもらえるなら話してくる、と言って、週末にダンナは実家へ行った。
ちゃんと使い込みのことを両親に話したらしい。
私から両親へ充てた手紙は、ダンナに渡してあったので、それを渡さなければならなかったのが、結果的にちゃんと話すことに繋がったのかもしれないと思う。
帰ってきたダンナは、私と目を合わさないように、「言ってきたから」とつぶやいた。
それで、何て言ってた?と聞くと、「自分で聞いたらいい」と言う。
あからさまに、私に対して怒ってる態度だ。
ということは、自分が悪いと思ってないということ。
行く前にあんなことを言ってたけど、やっぱりね・・・と驚きもしない私。

驚いた両親が電話の1本でもかけてきて、申し訳ないですと言うのかと思ったら、数日経ってもなんの連絡も来ない。ある日、思い切って私からかけてみた。
すると両親は、「○○が信じられないことをして・・・本当に胸が痛んで、夜も眠れない状態にまでなって、はなこさんになんと言葉をかけていいやら悩んでいた」と言っていた。
「私がはなこさんなら、絶対に離婚していたと思う。」とも。
私にとって、二つ目の言葉は思いがけない返事だった。
いつもの世間体とやらで、離婚だけはしないでね、と言われるのがオチだと思っていたから。
気持ちが、少し落ち着いた。


いや、正確には、落ち着いたのはその時だけだった。

私達は完璧な仮面夫婦になっていた。
ご飯もつくるし、たあいのない会話もする。
でも、信頼とか愛情とかいうもので繋がらない、ただの同居人のようだった。
その証拠に、その後もダンナは2回ほど同じことを繰り返したし、私はもう以前のように強い言い方をしなくなった。
私はダンナの両親にその都度、がやっぱり同じことをしていると話したが、仕方がないねぇ、私には○○の考えていることがさっぱりわからない、というばかりで、両親からダンナに何か忠告をしている雰囲気はなかった。
というか、両親は「○○は私達親よりもはなこさんにいろいろ打ち明けてるみたい。だから○○の気持ちをよく知るはなこさんからよく言ってやってね」と言うのだ。

結局、この問題と戦っているのは私だけみたいなものだった。

何度も同じことをしてきたので、確実には覚えてないのだが、1回目はあげたお小遣いをあっという間に使い切っていたから、私の財布からお金を抜き取ったことだと思う。
2回目は大きい出来事だった。
当時もダンナの財布をときどき覗いてた私だったが、ある日財布の中に消費者金融のカードを見つけたのだった。

ダンナのパスワード設定はいたって簡単。
消費者金融のカードだからって、想像もつかないパスワードを使ったりはしない。
その消費者金融のカードも、キャッシュカードのパスワードの数字の順番を入れ替えただけのものだった。

早速ネットで残高を調べる・・・

利用金額、3万。
ダンナにしては少ない。
3年ほど消費者金融を使わないでいると、手を出すのも恐る恐るなのだろうか。
でも、再び手を出したことには変わりない。
今日はまだ言わないが、きっとこの残高は増えるはず。
本気で離婚を切り出そうと、隠し持っていた離婚届に記入をした。
11時過ぎに帰ってきたダンナは、仕事で遅くなったと言っていた。

次の日、私は仕事をしながらでもバスに乗りながらでも、これからのことを考えていた。
離婚届の2人の証人欄には誰の署名をもらうのがスムーズにことが進むか、とか、今はパートで働く身の上だけれど、何とか一人暮らしができないだろうか、と。
東京に戻るか、家賃も安いこの地に留まるか、いろんな計算をしながら1日が過ぎた。
消費者金融の利用残高は8万に増えていた。
ダンナは、やっぱり11時過ぎに疲れた顔をして帰ってきた。

さらに次の日、仕事から帰って利用残高を調べたら13万に増えていた。
自然と涙が出てきた。自分がこんな人生を歩んでいることが、悔しかった。
もう、限界。
ダンナのことを話していた友人に「助けて。もう別れたい」とメールしたら、「いつでも家においで、東京に帰っておいで」と返事が来た。
決心がついた。会社に迷惑がかかるかもしれないが、すぐに退職して東京に帰ろう。

でもその日、ダンナはダンナで何かを感じ取ったのか、9時ごろには帰宅してきた。
私の決意を感じとったのか、このままではまた借金地獄に落ちる、と13万で気づいたのかは分からないが、私の嗚咽が止まりきらないうちに帰宅してきたのだった。

私がいかにもさっきまで泣いてましたという顔であることに気づいて、どうかした?と聞いてきた。
私は、ダンナの方に向きなおして正座し、
「どうか、離婚してください。お願いします。お願いします。お願いします。」と頭を下げ続けた。



長くなってきたので、続きはまた今度。
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2005年10月31日

履歴〜出張用口座〜

*この「履歴」シリーズは過去の記録です。カテゴリーの「履歴」より読まれると、読みやすいかと思います*


ダンナが2001年秋に転職してから数ヶ月、年末年始に向けて仕事が忙しく、出張が多くなってきた。
会社では1泊2泊くらいの出張だと、出張費の前払いをしてくれないようで、先に各々が負担して、出張後に精算してお金が戻ってくる、という方法をとっている。
最初は、出張のたびに1泊1万円計算で渡して、食事代等を引いて8,000円を返金というやり方をしていたが、出張が急に決まる時などは、わざわざ私の働く会社まで出張費を取りに来てもらったこともあった。

そういう不安を解消しようと、ダンナ名義で出張用の銀行口座を開設。
そこに5万円を入金して、そのキャッシュカードはダンナが管理し、そこから出張の際は自分で出金し、精算されたらそこに入金するようにしようと提案した。

それから約2ヶ月・・・。

ダンナの仕事の忙しさもだいぶ落ち着いてきたある日、私はダンナの口座から生活費を2万ほど下ろそうと思って銀行に向かい、カード入れを見ると、ダンナのキャッシュカードが見当たらない。
私のカードや、クレジットカードはあるのに、ダンナの、給料が振り込まれる口座のカードだけがない。
え?なんで?もしかしてどこかに置き忘れた?なくした?盗まれた??
焦ってカバンの中を探ったが見当たらない。
ダンナの携帯に電話を入れた。
「キャッシュカードが見当たらないんだけど・・・」
するとシラッとした感じで「俺が持ってるよ」と言う。
あぁ、あったんだ・・・良かった・・・・・・

って、え?? なんであなたが持ってるの?

でもその時はダンナは仕事中ということで長くは聞けなかった。
不安になった私は、オンラインで口座の入出金や振込、残高照会ができるサービスを使って、振込ついでに出張用の口座の残高を照会した。
残高、2,000円ちょっと。

やられた・・・


その夜、帰ってきたダンナに詰め寄った。
ダンナに詰め寄るのは、結婚直後以来、2年ぶりくらいだろうか・・・
ダンナは、出張用の口座のお金を使ってしまった理由に、初めて「パチンコ」と言った。
遊技業界で働くのに、パチンコの経験がないダンナ。
台の動きやシステムについて、同僚に聞いてばかりではだめだ、と上司に言われたらしい。
そこで、向学のためにパチンコに費やした、という。
ありえる理由だった。
私が上司だったら、何でも人に聞いてばかりの新入社員に、多分同じことを言うだろう。
でも、もう大体分かったから、もうしなくても大丈夫だから、とダンナは言う。
ギャンブル癖の怖さを知らない私は、それを真に受けてしまって、「うそでしょ?またやるくせに」とは言えなかった。

その代わり覚書を書いて欲しいと言った。
「使い込みをしてしまい、大変申し訳ありませんでした。今後使い込みをしたら、どのような処遇も受け入れます。○年○月○日 ××(ダンナの名前)」
さらにご丁寧に拇印まで。まるで犯罪者扱い・・・。
それに、使い込みのことだけが書かれてて、ギャンブルをしないで欲しいとは書いてない。


とにかくその頃の私は、ダンナが真人間の道から外れかかってるのを修復しようと必死だった。
でもこんなやり方じゃ、ダンナにストレスを与えるばかりで、余計にその道へ走ってしまうだけだとだいぶ後に分かったが、かといって他に手がないように思えた。

それからは2ヶ月に1度の割合で、キャッシュカードがなくなったり、お財布を落としたり(正確には現金のみ盗まれた?)、ゲーム機を売られたり、私が独身時代から急場のためにと貯めていた100円玉貯金がすっからかんになったり、ということが起こった。
その都度ケンカしたり話し合ったり、寛容になだめたりしてみたが同じだった。

疲れた・・・私じゃもう何を言ってもだめだ・・・
もう一度、ダンナの両親に出てきてもらおう。

あるケンカの際、ダンナに「もう許せない。あなたの両親に自分の口から話して反省してください」と言った。
私は行かないつもりだった。
また私の口から事の顛末を話すのは、もう疲れすぎてムリだったし、ダンナが怒られる場に私がいたら、私まで怒られてる気分になる。
そんな思いをしたくない。
私は悪くないのだから。
ただ、ダンナの話だけでは上手く伝わらなかったり、はぐらかされたりするかもしれない。
そう思って、私はダンナの両親に手紙を書いた。
今までの顛末と、今度同じことをしたら離婚させてください、と。


ダンナは了承し、その週末、一人で実家へ赴いた。
私のプレッシャーを受けるだけ受けたダンナは、どんな気持ちで実家で話したのだろう。



続きはまた時間のあるときに・・・

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2005年10月24日

履歴〜転職〜

いや〜・・・中間決算処理や行事で仕事が忙しいわ、ダンナはしっかり帰ってくるわで、
パソコンをする時間がなかなか取れませんでした。
訪問してくださった方々にお礼を申し上げます。



*この『履歴』は過去の記録です。カテゴリーの『履歴』より読まれると読みやすいです*


1999年の夏に入籍してから数ヵ月後、結婚式を行って、その後私もこの東北の地で働き始めた。
ダンナは、「働きたくなければ働かなくてもいいよ」と言っていたが、
もともと専業主婦なんて柄じゃない私、結婚式までの数ヶ月間、知り合いも少なく家にばかりいる状況にノイローゼ気味にすらなっていた。
新しい仕事は建設会社の一般事務。パート。
知り合いも出来てきて夫婦間も特別な問題もなく、楽しい日々だった。

その年の冬、ダンナのオンボロ車が故障続きだったこともあって、車を購入。
私の貯蓄から半分以上をキャッシュで払って、残りはローン。
結婚式費用も自分側の負担分は自分で捻出していたので、車を購入したことで、
私の貯蓄はほとんどなくなってしまった。
それでも仕事をはじめていたし、また貯蓄をすればいいやと簡単に考えていた。

ダンナはと言えば、当時の仕事がセールスエンジニアだったのだが、セールスなんてできるタイプではないので、売上ノルマがある仕事がとても辛く感じていたようだった。
結婚から2年後、もう我慢できない、転職したいと持ちかけられた。
男性は女性と違って定年まで仕事をしなければならないことがほとんど。
できれば自分の好きだと思える仕事について欲しいと思っていたし、ダンナの年齢や子供がいない状況、そして3ヶ月程度なんとかやっていけるだけの蓄えはあったので、転職を了承した。

ダンナの両親にはもちろん退職前に話したが、その時にもやはり「はなこさんのご両親には言わないで」と言われた。
何なんだろう。この点については、未だに納得がいかない。
私の両親にとっては、娘の夫が必要のない大きな借金を抱えてたり、転職をしようとしていることを知るのは、見守っていく上で大切な情報だと思うけれど。


2001年の夏、ダンナは退職した。
そして就職活動は思っていたよりも厳しいものだった。
1ヶ月が過ぎ、2ヶ月があっという間に過ぎていった。
私のパートの収入が10万弱。当然夫婦2人が借家で生活するには貯蓄を崩さなければならず、失業保険をもらい始める4ヶ月目までが貯蓄を崩せる限界だと思っていた。


ダンナは退職後、毎週発行される求人情報誌は欠かさず購入してチェックし、めぼしい会社に連絡していたが、ダンナが希望する分野の技術職だけを募集する会社は、なかなかなかった。
ある週の求人雑誌を私がめくっていると、「技術職」のカテゴリーではなくて、いつもは飛ばす後ろの方の「複数職募集」という欄にあった、ある会社の求人広告が目に付いた。
営業職と技術職を募集している会社は、遊技関係の会社。
広告だけでは仕事内容が良く分からないけれど、とりあえずダンナに見せて、応募してみたら、と話した。
その時まで、まったくパチンコや競馬などのギャンブルに手を染めてなかったダンナだったので、もしやこの会社に転職しても、ギャンブルに溺れることなどないだろうと思っていた。

ダンナはなぜかあまり乗り気ではなかったが、その会社に応募。
こうなることを自分で予感して乗り気でなかったのかもしれない。
面接が終わった当日に、すぐに採用の連絡が来た。
ダンナは就職活動の終わりを素直に喜んでいたし、私も嬉しかった。
今度の仕事は純粋な技術職。夜間の仕事も多いようだけれど、前の会社のストレスの比ではないだろうと胸をなでおろしていた。
最後の仕事にしてね、とダンナに話した。



最後の仕事にしてね、なんて言わなければよかった。
「おかしな会社だったら、早めに見切りつけて次のところ見つけてもいいよ」とか、
「続けて行けそうなの?」と聞けてたら、ダンナは我慢せずに違う道を選んでいたかもしれない。
今でもダンナに「あの時、あなたが今の会社の広告を見つけなければ、こんな自分にならなかった」と良くなじられる。
最終的に入社を決めたのはダンナの意思だが、ダンナも焦っていたし、私も家計を心配していたから、納得いかない部分もありつつ入社したのかもしれない。


続きはまた・・・
posted by はなこ at 21:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

履歴〜結婚直後まで〜

*この『履歴シリーズ』は過去の記録です。カテゴリーの『履歴』からお読みになると読みやすいです*


ダンナの両親へは、行くまで何も話してなかった。

着いた後しばらくはお茶を飲みながら世間話をしていた。
なかなかダンナが切り出さないまま30分近く経ってきて、私はダンナの足に合図を送った。
小声で「いつ話すつもりなの」とも言った。
ダンナのおどおどした様子にようやく気づいた両親が、何かあったの、と聞いてきたので
ようやくダンナが切り出し始めた。

 ダンナ「実は・・・借金があるんだ・・・ほうぼうに・・・」

 義母 「ほうぼうってどのくらいなの!え?○○!(ダンナのこと)」

 ダンナ「・・・ほうぼうに・・・」

 義母 「だからほうぼうってどのくらいなの!」

義理の母の声が金切り声になってきた。
そりゃ驚くだろうけど、自分の息子の性格を考えたら想定内だったんじゃないの?
だって当時ダンナの通帳を見たら、一緒に暮らす少し前まで数ヶ月に1度ずつ義父の名前で10万、20万の振込みがあったのだから・・・


10社で350万近い借金があることをダンナが告げると、両親はダンナを叱り続けた。
しばらくしたところで、ダンナはトイレに立った。
その時、今度は私に向かって両親が謝ってきた。
本当に申し訳ないことをしてしまったって。
結婚はどうするの?と聞かれたので、このことがはっきり決着がつくまでは籍を入れませんと告げた。
ただ、付き合っていた時に、私の方の家族内でのトラブル時にダンナにとても協力してもらったこともあったし、私が弱いときに支えようと頑張ってくれたり、間違ったときに叱ってくれたこともたくさんあったので、今度は私が支える番なのかな、と思うと話した。
そのことは両親2人とも納得していたし、ありがたいとも言ってくれた。
けれど、「はなこさんのご両親は、このことを知っているの?」と聞かれて「まだ話していません」と言うと、何だかちょっと安心した様子だった。

そして、トイレから戻ったダンナを前にまたお説教。
ダンナは「もうしない。真面目に生きる。すみません」と何度も言っていた。
そんなダンナを見て、いい気味だとも、かわいそうにとも思わなかった。
エンディングが近くなっていろんなことが解決していくドラマを見ているような、
「よしよし、後は大丈夫だよね」という客観的な気分だった。


ダンナからすれば、叱られている姿を私が見るなんて、屈辱的だっただろう。
私には、男のプライドというものが今いち分からなかったんだと思う。
人間として間違ったことをしたのだから、謝って反省して元に戻ればいいのだから、という気持ちしかなかった。
むしろ夫婦間の立場で言えば「私があなたを更生に導いた。感謝してほしい」と上から見下ろす気分ですらあったように思う。
男からしたら窮屈な女。
でも私にはそれが分からなかったし、分かろうともしてなかった。


話し合いの最後に、両親がこう言った。
結婚していずれはこの家に来るはなこさんのために、台所をリフォームしようと思っていたのだけれど、その費用を返済に回す。
一括返済は7月下旬。実家近くのATMや銀行から直に各業者の口座に返済する。
○○もはなこさんもその当日現在の返済額を調べて、一緒に来るように。
そしてこの借金のことは、兄弟親戚誰一人にも漏らさないつもりだ、と。

つまり、私にも私の両親に言わないで欲しいということなのだ。
これが、代々続く大きな家の見栄。間違った見栄。
結婚してないのに、私はすでに嫁扱いだった。
それでもダンナはもちろん私も、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

それから約1週間後の月曜日、ダンナは仕事の休みを取って、もう一度2人で実家に出向いた。
義父は銀行から一括返済に足る額を下ろしてきていて、義父の車に4人が同乗し、隣町の銀行へ向かった。
知り合いに会いたくないから、ということだった。
調べて置いた各社の返済先口座を振込用紙に記入するのは私が担当した。
今となっては不確かだけれど、消費者金融の店頭へは出向かず、銀行から返済口座に直に入金したように思う。

返済をし終わってから、実家でまた説教をされた。
今日返済した際の振込み控えは、今後同じことを繰り返さないように持っておきなさいと言われた。
確かにそれは数年間は取っておいたけれど、私が時々見るばかりで、ダンナは一向に見る気配はなかった。

今思えば(またこの言葉を言ってしまうが)、結局、両親が返済してしまうというのは何の解決にもなってなかったんだと思う。
私たちもこうして借金や消費者金融に対する勉強をしないままだったし、両親も同じ。
消費者金融は怖いという意識だけでは、いけなかったんだと思う。
事実、完済後に各社解約まではしてなかった(そういう手続きの必要を知らず)。
携帯に「借りてください」と連絡が入ることも知らなかった。


だけど、晴れてきれいな身になれたダンナと、私はその後入籍したのだった。
入籍はTVで見るような「2人で」というものではなく、単に私が専業主婦で時間があったので私が一人で提出しにいった。
お一人ですか?と役所の職員に言われた。
寂しいとも思わなかった。私がしっかりしなければ、と思うようになっていたから。
あとは真面目に生きていくだけ。
私もこれ以上借金のことをダンナとの話に持ち出すのはやめようと思っていた。
しばらくは実家を訪れる度に義母から家計状況を聞かれたりして、ちょっと嫌な気分だったけれど、それも仕方ないと思えた。

そして、それから2年ほどは、私にとっては平穏な日々を送っていた。


続きはまた今度・・・
posted by はなこ at 17:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

履歴〜結婚するまで〜

*この「履歴」は過去の記録です。「履歴」のカテゴリーより読まれると読みやすいかと思います*


新居を決めようとしたとき、私はまだ東京で在職中。
GWの数日を新居選びに充てて、ようやく決まったのが最終日。
築19年の古いアパートだけれど、押入れが2間と収納が充実してたし、一軒家のように
玄関も脱衣所も広かったから、2人ともとても気に入った。
私は帰京するので、契約のことや敷金等の払込はダンナに任そうと思っていた。
その時に、初めてダンナの財布事情に触れてみた。

「敷金と仲介手数料と前家賃で、20万ちょっとか・・・立て替えておける?」

するとダンナは、「そこまではちょっとないなぁ」と言ってきた。
は??結婚するのに20万の貯金もないわけ?
なんだかちょっと不安になってきた。
きっと結婚式の費用は100%両親持ちなのだろう。

「じゃあ私が出すから、あと払っておいて」

今考えると、私が不動産屋に振り込めばよかったんだけど、
何らかの事情で、お金はダンナに渡してダンナが手続きすることになった。

そして数日・・・
なかなか忙しくて不動産屋に行けないとダンナが言うので
早くしないと決まっちゃうじゃない、とせかしたところ、どうも様子がおかしい。

「まさか・・・使っちゃったの・・・??」

「ごめん・・・つい出来心で・・・」


あぁ!!
許してしまった私のバカ!!


今思えばなんて何度言っても仕方のないことだけれど
このときに今の私だったら! 不安をそのままにはせずに、絶対に結婚はしなかっただろう。
人生の岐路。奈落の底に続く道を選んでしまった。

結局、不動産屋へのお金は、ダンナの両親が出してくれた。
多分、私が一度出したことなど微塵も口に出さず。
悔しい。両親にしたら「まったく2人ともお金がないのねぇ」と呆れたかもしれない。
違うのに・・・あんたの息子が使い込んだだけなのに・・・

そして私は私で、自分の両親にこのことを言えなかった。
ただでさえ、遠くに嫁ぐことで母には少し反対されていたから。
このことを話したら、絶対にダンナと結婚できない、と思っていた。
それ以上に、この人にはいいところがある、それは付き合ってみないとわからないことで、数回しか会ってない両親にはわからないことだから、
このことで、私の両親がダンナを嫌ってほしくなかった。

でも、年長者の見る目は、若い人には本当に貴重なものなんだって
後になってすごく良く分かったのだけれど。



そして1999年の7月初めに新居に入居。
入籍はまだだったけど、新しい家具が届いて、新しい隣人がいて、となりにダンナがいて。
幸せだった。そこからの数日間は・・・

引っ越してすぐにダンナのボーナスが現金で支給された。
さすがにピンハネしないで明細と一緒に持ってきた。
じゃあ明日さっそく入金してくるね、と言ったら、浮かない顔で

「実はちょっとボーナスで払わなくちゃいけないお金があるから」

「じゃあどのくらい?」と聞くと、30万のボーナスから28万を数えて、「これだけ・・・」

「もしかして、あなたの部屋で見つけた払込用紙の束がそれなの?」

「そう・・・それだけじゃないんだ・・・」

消え入るような声。
目の前が真っ暗だった・・・
そこからダンナの最初の借金告白が始まった。
消費者金融7社ほどと、信販系に3社ほど、合計10社に350万の借金。
ダンナは、だますつもりはなかったし、何度も両親に話そうと思っていた。
でも私を失い、両親の信頼を失うのが怖かった、と話した。

間違ってるよ・・・。
もう私はふるさとを離れてここまで来てしまった。
実家を離れるとき、母は泣いたんだよ。
幸せになるから、って約束してきたんだよ。
それはたった数日前のことなんだよ。
なぜもう後戻りできなくなってから話すの?
余計に悲しいよ。



私の中で何かが変わった。
このままじゃ結婚できない。
あなたのやっていることは詐欺と同じだよ。
あなたの作った借金なのだから私の責任じゃない。
どうするの?両親に話してよ、って詰め寄ってた。
後のダンナは、もうあやまるばかりで埒があかなかった。
自分が悪いんだから・・・、って。

当時の私は、その事実の前に、ダンナの気持ちを察することなどできなかった。
善悪で言えば、借金については全くダンナは悪だった。私は善。
悪は罰せられなければならないと思っていた。
両親に話して、と詰め寄ったのは、これはダンナ一家の解決すべき問題だから、ということに加えてダンナが両親に話すことで反省して欲しいと思ったからだ。
そしてその週末に、ダンナの実家へ一緒に出向き、両親へのカミングアウトを見守ることにした。

ダンナはきっとこの時、私の今までとは違う一面を見てショックだったのかもしれない。
首根っこを捕まえられて両親に突き出されようとしながら、それがこれから妻になる人だということに。


続きはまた時間のあるときに・・・

posted by はなこ at 19:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

履歴〜結婚するまで・私のこと〜

私のことも書こうと思う。


私は2人姉弟の上、長女。
俗に言うしっかりした長女、と小学生の頃には言われてた。
ただ、中学生になってからは変わった。

ここからは借金と関係のない余談ですが・・・

たまたま家の近くの公立中学がヤンキーばかりだったせいもあるけど、前回の日記に「子供のうちは少しは悪さしろ!」と力説できるくらいには、いろいろやってきた。
夜遊び、テレクラ遊び(冷やかしだけですが・・・)、タバコ、酒など。(書けないことも少し・・・)
母はあきらめずにいつも怒ってくれていた。言葉よりも平手が先に出る母だった。
近所の子供でも怒る母。友達の手前恥かしく、憎いと思ったこともあったが、父よりも母の方が好きだった。

高校は普通の公立高校へ進んだ。
高校の同級生には、中学時代に遊んだタイプのヤンキーは一人もいなかった。
すでにほとんどの悪さを中学でやってきてしまった私は、高校に入るなり周りの真面目に見える友達に囲まれて、また変わった。
小学生から考えると360度の方向転換。
高校生になったんだし、バカはもうやめようと思った。
中学時代の友達みんなも、遅くても20才までにはケジメをつけてまっとうな大人になっていた。
だから怒られる年齢のうちに悪さをしておくべきだと身を持って思うのだ。
ま、その彼らも、全てがまともな大人になるかと言われればNOなのだけど。


本題・・・

両親が自営で町工場を経営して、経営上も父がポンポンと趣味&無計画に借金して買ってしまった機械のせいで大きな借金もあったりして、随分大きくなってからもこのことが私の負い目となっていた。
決して裕福ではなかったし、町工場をやっていることを友達に冷やかされたりもした。
中学卒業までおこづかいもなく、友達と遊びにいくのに家の中をあちこち探し回ってようやく100円かき集め、それをお菓子やジュースに使う、ということがほとんどだった。
だから、怒られても父より母が好きだと言えるのは、父=借金をして私たち家族を苦しめる人、という考えがあるからだと思う。


そんな中で育った私。
ダンナとは正反対といってもいい性格で、割とお金にシビアな人間になっていた。
友達と飲みにいったり旅行に行ったりはしても、クレジットカードの分割払いは性に合わなかった。
免許取得費用も、結婚費用も全て自分で貯めていた。

私は、結婚するなら絶対にサラリーマンがいい、とずっと思っていた。
小さい頃から母が「お店をやっている人は苦労するからダメ!あと午年生まれもダメ!(←父が午年だから(笑))」と言われていたから。


1999年、結婚の話が持ち上がる。(ようやく前回からの続き・・・遅っ)


ダンナから結婚を申し込まれた際に、まず頭に思ったのは「これで2人が会うのにお金がかからなくて良かった」ということ。
サラリーマンだし、技術屋で手に職があるし、午年生まれじゃないし、私の嫌いな虫を退治できるし。
動機がなんだか不純な私でしたが、それよりも道楽に身の丈以上の借金をつぎ込んでいるのに、結婚を申し込んでくるダンナもダンナだと思う。
ダンナもこのままではまずいと思い、何度となく借金のことを両親に言おうと思っていたそうです。
で、精算してもらおうと思っていたんでしょう。
でもとうとう言えなかった。


当時私にもローンがあった。総額20万ほど。
結婚の雰囲気が出た頃に、フィットネスクラブとエステが一緒になったところに通い出し、そこで分割払いにしてもらった○プラスでの借金。
今思えばアホな限りです。ダンナのことなど言えようもありません。
それを抱えて結婚するわけに行かないと、私は貯金から20万を吐き出し一括返済。
会社も円満退職しました。
さぁ、これで身辺整理もしたし、結婚準備をしよう!と意気込む私。


で、新居を見て回って決めようとしたときに事件は起きるんです。


続きはまた時間が取れたときに・・・
posted by はなこ at 00:32| Comment(3) | TrackBack(1) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月30日

履歴〜結婚するまで・ダンナのこと〜

ダンナのことを少し書こうと思う。


ダンナは田舎の大きな家の2人姉弟の下、末っ子。
共働きで教師をしている両親は不在がちで、学校から帰ると祖母が面倒を見てくれていた。
そんな環境でダンナは高校を卒業するまでの間、育ってきた。
大体想像がつくだろう。
代々続く家に、教師の両親、末っ子、祖母が母親代わり。
体面、世間体、不在がちの反動で甘やかす親、もともと孫には甘い祖母・・・
私が思うに、ダンナの性格形成で一番ガンだったのは、申し訳ないけれど両親だと思っている。
お金があれば必ず子供はまともに育つ?
教師の子供は優秀でまともに育つ?
子供のうちに親に逆らわず悪いことをしないいい子が、必ずまともな大人になる?
答えはNOだ。

大人から怒られるというのは子供の「特権」であるとさえ思う。
ムチャをして、後ろめたくも悪いこともして、ばれて怒られて。
それを親が押さえつけてしまい、子供のうちに経験しないとどうなるか。
大人になってからでは誰にもバレず、恥かしい思いもせず、誰からも怒られないまま、取り返しのつかない、笑えない状況になっていくのがオチではないだろうか。



そんなダンナが最初にローンを組んだのは、まだ私たちが出会う随分前、
就職して数年たった頃に、○八の布団セット60万を購入したことに始まる。
それで堰を切ったのか、オーディオセット・S−VHS対応ビデオデッキ、8ミリビデオデッキ、レーザーディスクプレーヤー、など次々とローンで購入。
ダンナは家電や電気に詳しく、新しいもの好きだった。
多分デパート系のクレジットカードを利用していたと思うが、中にはカードローンとは違うのか、カップ(払込用紙)を使って金融機関で返済する方法もあったりした。
(このカップの束が後々、借金の発覚に一役買う)
生来の我慢が足りない性格に加えて現実を見ないダンナの借金は、またたく間に膨れ上がり、生活費も返済に回すようになり、必然的に消費者金融に手を出すことに。
ただ、ギャンブルは全くせず、買い物依存症のような状態だったと思う。

そして数年後、実家のある県へUターン転職。
車で通勤しなくてはならなくなり、父親の名義で中古車を購入。
多分、車検費用や保険費用も親が捻出してたと思う。
すでにこの頃には自転車操業になっていただろうけど、ダンナの両親は当時、ダンナが費用のことを言わなくても更新時期を覚えていてスッとお金を出してくれてたのだろう。


ダンナと知り合ったのは1997年の夏。
知り合って少ししてから遠距離に。
会えるのは月に1度くらいで、電話は毎晩。
私が会いに行くのがほとんどだった。電話は半々くらいだと思うけど。
なんで彼は私のところに来てくれないんだろうと思ってた。
それでも私は実家暮らし、ダンナは一人暮らし。
金銭的な負担をダンナに負わせないようにと、文句も言わずに会いに出かけてた。
私にはない部分をたくさんもっているダンナに、ひかれていた。
私の貯金は少しずつ減っていた。
彼の財布の中身、口座の残高、経済状況など知ろうともしなかったし、知ったところで一人暮らし未経験者の私は、きっと何の危険も判断できなかっただろうと思う。
説明されたらその内容を鵜呑みにするだけだろう。

その他にも付き合っている時に、この人大丈夫かと思うことがあった。
クリスマスプレゼントだかで何かを買ってくれたとき、出してきたクレジットカードと一緒に財布に見えた数々のカード・・・
私(の家)が普通のAFカメラを久々に新調したので、ある日のデートに持っていくと羨望のまなざし。
機械好きのダンナは、次のデートの時にはそれの色違いを買っていたりした。
今の私なら、当然「どこからそのお金を出したの?どういう気持ちで買ったの?ただ欲しかったから?」と聞くところだが、結婚もしてない相手の財布事情をさぐるのは、私には「してはいけないこと」だと思っていたから、聞けなかった。
取り繕う方も必死だっただろうと思う。
でも1ヶ月に1度程度しか会わなければ、私はそんな心配も忘れていた。


そして、1999年、結婚の話が持ち上がる。


長くなってきたので、続きは別に書きます・・・
posted by はなこ at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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